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東京地方裁判所 平成6年(ワ)21885号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、金三二三万三六〇〇円及びこれに対する平成六年一二月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金銭の支払をせよ。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は一〇分し、その三を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告は、原告に対し、九九九万九六〇四円及びこれに対する平成六年一二月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金銭の支払をせよ。

第二  事案の概要

本件は、賃借している店舗の明渡しを家主から請求されて、その事件の処理を弁護士であった被告に委任した原告が、被告に預託した賃料を被告が支払わなかった結果賃料不払いにより賃貸借契約を解除され、かつ、知らない間に被告が家主と店舗明渡等を内容とする裁判上の和解を成立させたため、店舗を明け渡して他へ移転するのを余儀なくされ、よって損害を被ったとして、その賠償を請求するものである。

一  当事者間に争いのない事実等(認定した事実については、末尾に証拠を掲げた。)

1 被告は、もと東京弁護士会に所属する弁護士であった(平成五年一二月一八日付けで除名)。

2 原告は、平成二年一〇月その賃借に係る東京都豊島区《番地略》所在家屋番号五七五番地一の店舗(以下「本件店舗」という。)の明渡しを家主から請求され、被告にその処理を依頼した。

3 原告は、被告の指示に従って、本件店舗の月額家賃四万円を平成二年一一月分から平成五年一一月分まで、被告に対し毎月又は数カ月分をまとめて継続して預託した。その預託金額は、三七カ月分合計一四八万円となる。しかし、被告は、これら金銭を家主に支払わず、また、供託することもしなかった。(家賃の預託を開始した時期について、《証拠略》、家賃の預託を終了した時期について、《証拠略》)

4 家主は、平成三年二月二五日建物老朽化を理由として本件店舗の明渡しの調停を申し立てたが、平成四年五月頃不調に終わった。その後右店舗について、賃料不払いを理由とする家屋明渡請求の訴えが提起された(当庁平成四年(ワ)第一八〇五七号事件)。

5 右訴えは、平成五年四月二一日(一)本件店舗の賃貸借契約を同日合意により解約すること、(二)家主は、原告に対し、同年一二月末日までその明渡しを猶予し、原告は同日限りこれを明け渡すこと、(三)原告は、家主に対し、平成二年一一月一日から本件建物明渡済みまで一カ月四万円の割合による賃料及び賃料相当損害金の支払義務のあることを認めること、(四)原告が右期日に明渡しをしたときは、家主が右賃料および賃料相当損害金の支払義務を免除すること、並びに(五)原告が前記期限までに本件店舗の明渡しをしなかったときは、家主に対し、前記賃料及び賃料相当損害金を直ちに支払うことを内容とする裁判上の和解(以下「本件和解」という。)によって終了した。

二  争点

1 被告が本件店舗の賃料を供託するなどしなかったことについて、被告に委任事務の債務不履行があったかどうか。

2 本件和解は、原告の意思に基づいて行われたかどうか。

3 被告の義務違反行為によって原告の被った損害

第三  争点に対する判断

一  争点1について

1 被告は、本件店舗の賃料を供託しなかった理由について、次のように主張する。

賃料についてはこれを供託する旨家主の代理人と話し合ったが、円満な解決を図るため敢えて供託の手続をとらず、調停による早期解決に努力した。調停終了後は、家主の代理人と更に交渉を続け、その状況を待って賃借料を直接支払うか供託の手続をとるかのいずれかをすることとなっていた。家主及びその代理人の態度によれば、家主は、賃料の支払を直接原告から受け、もって賃貸借契約を継続することは考えられない状況であった。被告は、その後平成四年八月三日から一〇日頃まで地方出張で不在となった。その間の同月五日家主が直接原告に賃料の支払を催促した。原告は、被告と連絡がとれ次第連絡する旨答え、家主もこれを了承した。被告は、出張から帰ってこの事実を知り、家主の代理人と連絡をとったが、夏季休暇で連絡がとれなかった。そのため被告は、文書で今後協議したい旨を代理人に申し入れて同月一七日から二二日まで海外出張した。被告は、帰国後家主の代理人と面談しその了解を取り付けたが、本件店舗の最終処理のためには、訴訟を提起してその中で解決を図りたいとのことであったので、被告もこれに同意し、訴えの提起となった。被告は、その頃家主の代理人に対し、賃料の供託を申し入れたが、本訴訟において、原告が一時的にでも本件店舗から他に移転する場合の賃借料支払免除を考慮しているので、和解の際処理してもよい旨の提案があったので、被告は敢えて円満な処理を考慮して供託を見合わせた。被告が供託の手続を採らなかったのは、家主との話合いを少しでも原告に有利に解決すべく、円満に和解の道を作りたいとの善意からであって、怠慢からではない。本件店舗は既に使用に耐えられない状態に老朽化しており、家主と争っても今後年単位で使用できるものではなく、原告に有利な解決をする為には家主を刺激することは得策でないことは原告の子息清水威寛との打合せ結果から判然としていた。本件訴訟の明渡理由は賃料不払いであったが、被告としてはこの点十分争う余地があった。和解は本件建物の使用不能を中心として進め、明け渡すこととなったもので、賃借料の支払は免除されることとなっていた。

2 右の主張は、それ自体賃料を供託しなかった理由を無理にこじつけるものに過ぎず、前後矛盾し、経験則に反し、正に苦し紛れの弁解という他はなく、まともに検討するに値しない。円満解決のため賃料を供託しないなどという論理が通用しないことはいうまでもなく、被告は要するに当初から、又は遅くとも家主が賃料の受領拒絶をすることが明らかとなった段階で預託された賃料を供託する手続をとるべきであったのであって、それをせず賃料不払いを理由に賃貸借契約を解除されては、どのような弁解も通るものではない。被告に弁護士として委任契約の債務不履行があったことは明らかである。

二  争点2について

1 本件和解の内容は、原告にメリットの考えられないものである。調停段階の申立てのように、建物の朽廃を理由とする明渡しの要求であれば、朽廃度の鑑定等に日時を要し、仮に原告敗訴としても係属一年程度で訴訟が終了する見込みはない。建物の朽廃の有無の判断は必ずしも容易ではないから、場合によっては、原告に有利な判断が出る可能性もないとはいえない(現に証人清水威寛は、和解成立当時本件店舗において酒屋業を営んでおり、特に支障を感じなかったと述べる。)。仮に立退きを内容とする和解となったとしても、立退きの期限なり、立退料の額なりで相当の譲歩が引き出せた筈である。平成五年四月二一日の和解成立で、その年の末に建物を明渡し、その対価としては、平成二年一一月一日から明渡し済みまでの賃料又は賃料相当損害金の免除というのでは、金額としても酒屋を営む店舗の明渡料として些少に過ぎるというべきであるし、何より原告は、被告にその免除の対象とされた賃料額を支払っているのであるから、被告からその返還を受けるのであればともかく(被告は、返還していないことを自認している。)、返還されないのであれば、経済的に全くメリットがないことになる。そのような和解をすることを、原告ないしその子息の威寛が承諾するはずはない。このような和解は、結局被告が賃料を供託せず、賃料不払いの事実は動かし難いし、その主張するところによっては、不払いによっても信頼関係が破壊されていないなどという抗弁の通らないことも明らかであるため(原告の代理人の事情で賃料を支払わなかったなどということが家主に対して有効な主張になる筈がない。)、殆ど敗訴同然の内容となったとしか解し得ない。このような弁護士によって、このような結果とされたことは誠に遺憾の極みである。

2 以上のとおり、被告本人尋問の結果は採用できず、《証拠略》によれば、本件和解は、原告の意思に基づかないで行われたものと認めるべく、被告は、この点においても委任契約の債務不履行があったものというべきである。

三  争点3について

原告は、被告の債務不履行によって次の損害を被ったと認められる(認定に供した証拠を末尾に掲げた。なお保証金の未償却分及び敷金は返還が予定されているから、その預託金額自体を損害と認めることはできない。また、原告は、被告の行為によって精神的損害を被ったと主張する。確かに、原告が被告の債務不履行によって、ある程度の精神的被害を受けたことは認められるが、その被害の程度は、その債務不履行によって受けた物的損害について適正な額の賠償を受ければ回復するものと認められる。よって、このような損害に対する賠償請求権を認める余地はない。)

1 預託家賃 一四八万円(前記争いのない事実等による。)

2 新店舗・住居借入費用 合計 七二万六七〇〇円

(一) 店舗借入費用 合計 二四万二七五〇円

(1) 保証金(一〇カ月分の一五%) 一一万二五〇〇円

(2) 前家賃 五万三〇〇〇円

(3) 仲介手数料 七万七二五〇円

《証拠略》

(二) 事務所借入費用 合計 四八万三九五〇円

(1) 礼金 二五万円

(2) 共益費 二二〇〇円

(3) 前家賃 八万八〇〇〇円

(4) 火災保険料 一万五〇〇〇円

(5) 仲介手数料 一二万八七五〇円

《証拠略》

3 設備費用 合計一〇二万六九〇〇円

(一) 株式会社I.K.K 四六万三五〇〇円

リーチインショーケースサンヨー冷蔵庫一台

(二) 株式会社サントリーショッピングクラブ 二二万円

日本酒陳列棚、洋酒陳列棚 六台

(三) サンセイ商会 三一万二五〇〇円

中量ラック三五〇タイプ六台、事務用書庫二台、事務用椅子五脚、会議用テーブル一台

(四) 株式会社トーコン 三万〇九〇〇円

電話機代

《証拠略》

4 合計 三二三万三六〇〇円

第四  結論

以上によれば、原告の請求は、被告の委任契約上の債務不履行によって被った三二三万三六〇〇円相当の損害及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成六年一二月一〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから、これを棄却することとする。

(裁判官 中込秀樹)

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